2016年12月20日火曜日

妻がクリスチャンになった

私的なことだが、私の妻は数年前にクリスチャンになった。そしてそれ以来、キリスト教が家庭内に入ってくることになった。

私自身は無宗教で、当時は随分反発した。しかし今となっては、視野を広げるきっかけをくれた妻に感謝している。

昔の私は、人生は自分の努力で切り開くものだと思っていた。努力は必ず報われると思っていたし、必要なものは何でも努力して獲得するべきで、たとえ才能がなくても努力で補えば良いのだと思っていた。「自分には才能がない」などというのは努力が足りない人間の発言だと思っていたし、努力すれば目標は必ず達成できると思っていた。

こうした考え方は、私が受験という文化の中で育ってきたことと関係しているのかもしれない。

クリスチャンの考え方は違う。

才能は、神様がくれたギフト(賜物)。
全ての人には、神様から与えられた使命がある。
人生は、神様が導いてくださる。

それまでの私の考え方と真逆である。「そんな無責任なことでどうすんねん、自分で頑張れよ」と妻に喰ってかかったこともある。

しかし時が経つにつれ、私のほうが少しずつ変わってきた。

ちょうどその頃はドラムのDVDを出版して自分の知識を出し切った時期で、身体の動きを分析したり、それを言葉で説明したりすることに息切れし、疲れ果てていた。自分なりに言葉を駆使して理論を積み上げてはいたが、その延長線上に開けた世界が見えてこなかったのだ。

「人智を超えたものを認めなければ、先に進めないのではないか?」

そんなことを考えている私の横で、妻が聖書を読んでいる。これも何かの巡り合わせだったのだろう。

また、ちょうど同じ頃に日野晃先生とお会いする機会を得たことは本当に大きかった。先生が私と正面から向き合い「とにかく考えていることを全部出し切ったら良い。そうすれば次が見えてくる」と言葉をかけてくださったことで、私は本当に勇気を頂いた。先生からは、現在も多くのことを学ばせて頂いている。

目に見える現象を追いかけているだけでは、私が知りたいことは見えてこない。人と人が出会う不思議、出来事が起こる偶然(必然)の不思議。論理的に説明できないものはいくらでもある。意識や思考によって身体が変化することも、論理を超えている。

そういう領域のことを自分の血肉にしようと思ったら、論理に縛られていてはダメだ。だから私は、人智を超えたものを完全に認めることにした。そして今は「神様」というのも悪くないと思っている。

とはいえ、私にとっての神様は「宇宙の法則」というのに近く、聖書に書いてある神様とは違う。そのあたりは妻とはまだ相容れないが、私にとってはどちらでも良い。

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