2017年3月13日月曜日

不変のものを見つける?

現象を「原因と結果」として捉え、それらの間にある法則を見つける。それは近代科学の基本的な態度だろうと思う。

近代科学の欠点は、例外に弱いことだと思う。どんなに多くのデータを集めても必ず例外は表れるからだ。

一方、近年話題の「量子力学」はモノを最小単位の「量子」に分解し、現象の前後で状態が変わらないものを見極めようとする学問らしい。

現象を解釈し、その解釈がいつでも正しいことを証明しようとする近代科学。それに対し、現象をあるがままに観察し、自然界にあらかじめ設定された「不変のもの」を見つけようとする量子力学。

対照的で面白い。

ところで・・・

「明確な理論に基づいた施術を行います」という治療院は、何となく信頼できそうな気がする。「明確な理論に基づいた指導を行います」というドラム教室も、何となく信頼できそうな気がする。

しかし、理論には「例外」がつきものだ。

ドラムの指導法にしても施術にしても、上手くいく方法が発見された裏には多くの失敗があり、試行錯誤があったはずだ。どこまでいっても現場で得られた「経験則」であり、理論は後付けなのだ。

過去には上手くいったかもしれないが、今日それがピタリと当てはまる保証はどこにもない。こと人間が相手の場合はなおさらで、同じケースは2度とない。過去のケースに当てはめるのは程々にして、今目の前で起きていることに集中しなければならない。

理論は多くの場合に役に立つが、先入観にもなり得るので注意が必要だ。

2017年2月28日火曜日

「つり合い、バランスする」ということ

先日も書いたが、このところドラムを練習している。鏡でフォームを細かくチェックしたり、メトロノームでリズムを追い込んだりする作業が楽しい。

私は側弯なので左右の動きがどうしても違うが、それを認めた上で身体をどう操作するかを追求していくところが面白い。左右が同じ動きにならないと悩んでいる生徒も多いので、ここは指導者としてのアドバンテージだとも感じる。

それにしても、胸椎の動きが悪かった。客観的にフォームをチェックすると、アゴを引くということが難しい。そこで自分でクラニオをしたり、腰椎を伸ばす施術をしたり、試行錯誤。腕のねじれも関係している。

しかし、そもそも鎖骨の付け根からして高さが違うので、技術で補わなければならないことには変わりない。そうとわかると、むしろどう攻略してやろうか?とやる気が出る性分。

あらゆる意味で、力が釣り合っている状態、バランスしている状態というのが気持ち良い。この感覚を追求し、動きの中でもそれをキープする。

筋力と重力。
思考と感覚。
無意識と意識。
心と身体。

つり合いがとれている状態は、心地よい。

この作業は私にとって、ほぼ「瞑想」に近い。思考を離れ、反復するリズムに心身を委ねる。そこは限りなく安全な、完全に自分だけの世界。誰にも見せない、「表現」の手前の段階。

どんな人にも、そういう時間は必要なのだと思う。ドラムをやってみよう、演奏してみようと思う人は、それが自分に必要なのだと本能的にわかっているのかもしれない。もちろんドラムでなくても良いが、ドラムと言う手段を持っている私は幸せだと思う。妻が教えてくれたメディカルアロマの香りも大きな助けになっている。

頭が空っぽになる時間は幸せだ。


バランスという話題で、こちらにも記事を書きました。


ドラムの「グルーヴ」の話はこちら
整体の「腰痛予防」の話はこちら

2017年2月21日火曜日

決めた!DVDを作る!

どうも、頭で考えてばかりでは煮詰まる・・・
ということで、昨日は久しぶりに一人でスタジオに入った。

もちろんレッスンで毎日音は出してはいるが、自分のためだけに音を出す時間は、意識して作らなければ持てない。一人の時間は貴重だ。

ドラムは良い。思考がクリアになる。

決めた。
ドラムの新しい教則DVDを作る!

まずは一人でプリプロだ。

前回のDVDから3年・・・日野晃先生に出会い、施術を重ね、身体の使い方も、考え方も、3年前とは相当変わった。というよりも、形にとらわれず、自分が本当に大切にしたい部分が少しずつ明確になってきている。

「どう動くか」ではなく、「どう感じるか」から出発するレクチャー。フレーズなり、リズムパターンなり、音色なり、目的にたどり着くために「何を、どう感じればよいのか?」というところを突っ込んでいく。

なぜ、そういう持ち方になるのか?

なぜ、そういう動きになるのか?

それはつまり、「どういう感じ方をしているのか?」ということ。

それを映像で伝える試み。

やった人だけがわかる、感覚を高めるためのワーク満載。
感じるという作業を通して、自然にドラムが上手くなる・・・今までどこにもなかったDVDにしよう!

2017年2月13日月曜日

本当に伝えたい相手は?

太田マスミ先生から教わったクラニオ・セイクラルの施術法は、人体を根本から元気にすることができる。施術を繰り返すたびに、その確信は強固なものになっている。そこには真実があり、ヨガや呼吸法、武道とも通じているのではないかと思う。

ところで私はクラニオの施術がなぜ効くのか分析して、つい誰にでも説明しようとしてしまう。これはドラム講師として身につけたスキルであると当時に、私の無意識のパターン、クセでもある。

しかし、施術を受けに来てくれるお客様にとっては、理屈はどうでもいいに違いない。

そういうのは、いつか施術法を教える立場になった時に披露すればいいのであって、お客様に対してはお客様の目線で話をしなければ、いくら能書きを並べても伝わることはない。

当たり前のことだが、誰に伝えたいのか?ということを明確にしなければならない。正論を述べたからと言って、相手に響かなければ意味がないからだ。

・・・と書いてみて、「正しい」とは何か?という疑問が湧いた。

施術のお客様にとっては、自分がラクになれるかどうかが全てだ。ラクになれたのなら、それが正しい。シンプルだ。

ドラムのレッスンなら、「良くなるためには自分が練習する」という暗黙の了解がある。だから、多少の試行錯誤が必要でも、自分のこととして取り組んでくれる。

しかし、施術のお客様の多くは「つらい症状を何とかしてほしい」ということでいらっしゃる。「何とかしたい」ではなく、「何とかしてほしい」。この違いは大きい。

おそらく、私のところに2回以上通ってくださるお客様は「何とかしたい」という意識をお持ちの方なのだと思う。そういう方は、スピードに差はあるが100%良くなっていかれる。

こう言ってしまうと元も子もないが、結局はその人自身の力なのだ。施術は、変化のきっかけでしかない。刺激に反応してその人が変化していく、ただそれだけのことなのだと思う。

問題は、刺激を上手に伝えることができるかだ。それは肉体的な刺激だけでなく、心についても言える。兎にも角にも、受け取ってもらえる状態を作れなければ始まらない。

今のところ「何とかしてほしい」という感じがする方は、残念ながら2回目はないことが多い。本当はそういうお客様にこそ「自分で何とかできる」という自信や希望を持って頂けるところまでいきたいのだが、まったく力不足だ。

巷には、そういう人に「依存」してもらうための方便が溢れている。結果的に通ってくれて良くなっていかれるのであれば、それも悪くないのかもしれないが・・・。

2017年2月10日金曜日

どこまでが自分の力?

私の行動は、すべて周りで起きていることに対する「反応」だ。
そしてその大半は、「人」が関わる出来事だ。

良いことも悪いことも含めて、私が行動できるのは、周りに人がいるからこそだ。
何も起きなければ、私は動けない。

「自分がないのか?」と言われるかもしれない。
「主体性がない」と言われるかもしれない。

それは、そうなのかもしれない。
しかし、「自分」は間違いなく「ある」。

何かに出会って、何かを感じる。
そうして感じている主体こそが、自分。

自分の感覚は、自分だけのもの。感覚がある限り、自分は決してなくならない。誰が何と言おうと。

もし何も感じなくなったら、自分もなくなるのだろう。だからこそ、自分に生じている感覚を丁寧に味わい尽くしていきたい。自分をなくしてしまうことのないように。

人から見て自分がどう映っているのかは、その次のレベルの話だ。自分の感覚を見失っている時に、「表現」なんてできるはずがないのだから。

2017年2月4日土曜日

「看取り」についてのお話を聞いて

アロマのご縁でお誘いをいただき、小池美喜子さんの「看取り」についてのお話会に参加した。

看取りとは、もちろん人生の終わりに立ち会うこと。普通に考えると、重い話題だ。

小池さんは、老人介護施設「ろくじろう」を経営されている方。これまでに何十人もの方を、ろくじろうで看取って来られたという。

人は、自分の最期が近づくと分かるらしい。

「もう行く?」「まだだよ」。

「もう行く?」「明日行きそうだ」家族を集め、お別れをする。

そんなお話を、100枚以上のスライドとともに。命の姿が映し出され、涙が溢れる。

中には死ぬべき時期が来ているのに、死ねない人もいるのだという。この世でまだやり残したことがある人だ。「そうした人を死なせてあげる、送り出してあげるのも看取りの仕事だと思っています」と小池さん。

小池さんの施設は、病院やほかの施設で断られた利用者を多数受け入れているという。

統合失調症で暴れまわる人、自宅で家族にナタを振り回していたというおばあちゃん、脚の骨を折って一生寝たきりと告げられた人・・・。メディカルアロマの塗布が大きな力を発揮し、症状が改善した様子も多数紹介されていた。

障害児の受け入れも始めた。心を閉じていたダウン症の女の子も、職員さんのお子さんと一緒に昼寝をしたり、お歳寄りと一緒に食卓を囲んだり。近所の子供が遊びに来ているの?と思うくらい、自然な風景。

「私は、人物の写真に目線を入れて隠したりしないことにしています。それは、目に全てが表れるから。ぜひ、スライドに写る人物の目を見てください」

そこにあるのは、人が普通に、共にいる姿。
相手を変えようとするのでなく、どこまでもその人を認め、ただ寄り添う。
それだけで奇跡が起こる。
命と命が共鳴している様子に、また涙。

「全部当たり前のことなんです」と小池さん。しかし、その当たり前のことが一番難しい。相手にこうなってほしい、こうしてやりたいという「自分勝手」を止めなければならないからだ。

何かしてあげよう、ではない。「ただ寄り添う」ことに、計り知れない力がある。

自分の存在を認めてもらえる場所があるだけで、人はどれほど力が湧いてくるか。そんなことを教えてもらったお話会だった。

2017年1月17日火曜日

それは私のエゴだった

レッスンでお世話になっている巣鴨のスタジオの近くに、朽ち果てたアパートがある。

そこに一人で住んでいるオヤジは近所でも評判の迷惑オヤジで、毎日アパートの前の細い道を大量の赤い三角コーンでふさぎ、車両が通れないように邪魔をしている。アパートの敷地から伸び放題の木の枝も道をふさいでいるが、手入れがされる気配もない。

ゴミ屋敷ではないが、まあその類だ。テレビでも何度か取り上げられているので、ご存知の方もおられるかもしれない。向かいの家も引っ越して空き地のままになっている程の、筋金入りの迷惑オヤジ。

そんなオヤジと、私も何度かぶつかったことがある。私有地だから通るな、警察を呼ぶぞ、訴えるぞというのだが、「なに言うとんねんアホ!」である。夏場など、パンツ一枚で出てきたので「ズボン履いてから出てこいやボケ!」と返したこともある。大阪の人間をナメてはいけない。ここまで来るともうギャグの領域だ。

おそらく、このオヤジは本当には怒っていない。いくら怒鳴っていても怖くないのだ。もしかすると人と触れあいたいだけなのかもしれない。そう考えるとむしろオヤジが可愛く思えてきて、ちょっとイジってやろうかという気分になる。

実にくだらないのだが、しばらくの間、私はなぜかこのオヤジのことが気になっていた。道をふさぐことを止めさせたい。こんにちはと言ったら、こんにちはと返せる人になってほしい。このオヤジを変えてやりたい。

正義感でもなく、オヤジが可愛そうなわけでもない。この気持ちはどこから来るのか?なぜ、私はオヤジのことが気になるのか?この気持ちの正体は何なのか?

気付いたのは、私がオヤジに共鳴しているのだ、ということだった。

オヤジと同じようなエゴを、私も持っている。なんとオヤジは、私の鏡だったのだ。これには自分でも驚いた。

つまり私も「縄張り」を持っていて、誰かに勝手に入られたら怒る人間だったのだ。それは物理的な空間に限らない。意見であったり、価値観であったり、こだわっている領域を侵されたら怒る。他者を受け入れない自分だったのだ。

オヤジとの出会いは、そのことに気付くためにあったのだとわかった。さあ、どう変化してやろうか。

2017年1月13日金曜日

大阪終了!胸骨操作めっちゃすごい

8日間に渡る大阪でのレッスンが終わった。年末からの滞在だったので、半月も大阪にいたことになる。

この数ヶ月、日野晃先生のワークショップで教わった胸骨からの連動をドラムに取り入れている。単なるエクササイズとしてではなく、全ての動きを再構築する作業だ。それこそ座り方から、脚の動き、手の細かな移動に至るまでを全て胸骨から行う。

胸骨から大腰筋をストレッチすることで体幹が安定し、演奏の精度が劇的に上がる。腕の振り方などの表面的なフォームではなく内面の操作なので難しいが、丁寧に練習すれば必ず演奏が変わる。今月来てくれた27人、全員がその場で変わった。

ドラムに応用しやすいのは、日野先生ご自身がドラマーだからかもしれない。本当に感謝しかない。

副産物として、前屈が10センチ以上も伸びる人が続出した。背骨の全体が連動するだけで、そんなことも可能になる。

皆さんとマンツーマンで向き合うことで、本当に多くのことを学ばせて頂いています。今月もおつかれ様でした。ありがとうございました。

2017年1月10日火曜日

「ズレ」に気付けるか?

大阪でドラムレッスンの日々。一人2時間弱の個人レッスンを、毎日3〜4コマ行っている。

大阪では休憩をあえて挟まず、一人になる時間をほぼ持たずに一日を過ごしている。すると、生徒と一緒にいる時間が日常化してくる。そこから生まれる発想が毎月の原動力になっている。これは期間を区切っているからこその集中力だ。

今月のレッスンは、リズムの精度を上げるという共通テーマを持って進めている。

自分は出来ていると思っているリズムパターンでも、よく吟味すると手足がピッタリ鳴らせていない。そうした「ズレ」を各人のレベルに応じて感知してもらい、違和感をなくしていく。

ズレに気付くことさえできれば、八割はクリアできたも同然だ。あとは違和感がなくなるように修正すれば良いだけだからだ。

自分が今鳴らしている音を素直に聴き、修正を繰り返す。地道な作業だが、それが目標に辿り着くための近道だと考える。

目標を持つことはもちろん大切だが、目標に向かうという意識が強過ぎて「今」がおろそかになっていないか。ヒントは想像の中にあるのではなく、今生じている感覚の中にあるはずだ。

2017年1月5日木曜日

「諦める」ことがスタートだった

年始は大阪で家族と過ごし、そのまま昨日から仕事始め。

家内と娘を新大阪駅で見送った後、思い立って実家の一室を施術室にしつらえた。綿のラグを二枚とヒーターを購入して模様替え。私はベッドを使わないのでシンプルだ。新しい空気の中、そのまま2名のお客様を施術させて頂いた。

こうして仕事の幅を広げることが出来ているのは、演奏のギャラだけで食っていくという夢を諦めたおかげだとつくづく思う。

それは、10年ほど前にドラムを教え始めて暫くした頃に諦めた。その延長線上に今がある。

「諦める」の語源は「明らめる」、すなわち「明らかにする」ということだそうだ。自分について明らかにして、それを理解する。この場合の「自分」には、自分を取り巻く周囲の状況、人間関係も全て含まれるだろう。

私の場合、演奏だけで生活するのを諦めることが出来たのは幸運だった。もちろん沢山の人にお世話になったし、自分なりにやるだけのことはやったつもりだ。しかし当時の私は人の役に立ちたいという気持ちよりも、自分がこうしたいという「こだわり」ばかりが強かった。それでは無理だということが「明らか」になったのだ。

自分を明らかにすること。自分の頭の中だけに存在するこだわりを捨て、より自分が生かされる道を見極めること。私はそれを、ドラムの生徒の皆さんから教えて頂いた。

諦めるのは苦しいし、勇気も必要だが、その先に新たな道があるのであれば、潔く諦めるのも悪くない。

反対に、どうしても諦められないこともある。それを「あきらめる」のは私の課題だが、一生かかっても終わりそうにない。

2017年1月2日月曜日

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

昨年は整体院を開業し、ドラムという枠を超えて「身体」を探求する一歩を踏み出すことができました。

ドラムでも山口県への遠征、東京・大阪での月例セミナーなど、様々な場所で沢山の出会いがありました。また、家族を核とした地域活動でも多くの出会いがあり、これまでお世話になってきた方々とのご縁もさらに深まり、人とのつながりの有難さを感じています。

この身に起こる出来事は、すべて偶然の積み重ねだと感じます。自分で選択しているようにも思えますが、実はそうではない。必要な出来事は、必要な時に必ず起こる。出来事をコントロールしようとして頑張るよりも、出来事から何を感じ取り、何を学び、何を自分の血肉にできるかが大切だと思うのです。

今年は今まで以上に感じる力を磨き、出来事に素直に、丁寧に向き合える自分でありたい。そして感じたことを原動力に、考え、行動し、関わってくれる皆さんにお返ししていきたいと思っています。まずは今、目の前にいる人から。

今年も当ブログをよろしくお願いいたします。