2017年1月17日火曜日

それは私のエゴだった

レッスンでお世話になっている巣鴨のスタジオの近くに、朽ち果てたアパートがある。

そこに一人で住んでいるオヤジは近所でも評判の迷惑オヤジで、毎日アパートの前の細い道を大量の赤い三角コーンでふさぎ、車両が通れないように邪魔をしている。アパートの敷地から伸び放題の木の枝も道をふさいでいるが、手入れがされる気配もない。

ゴミ屋敷ではないが、まあその類だ。テレビでも何度か取り上げられているので、ご存知の方もおられるかもしれない。向かいの家も引っ越して空き地のままになっている程の、筋金入りの迷惑オヤジ。

そんなオヤジと、私も何度かぶつかったことがある。私有地だから通るな、警察を呼ぶぞ、訴えるぞというのだが、「なに言うとんねんアホ!」である。夏場など、パンツ一枚で出てきたので「ズボン履いてから出てこいやボケ!」と返したこともある。大阪の人間をナメてはいけない。ここまで来るともうギャグの領域だ。

おそらく、このオヤジは本当には怒っていない。いくら怒鳴っていても怖くないのだ。もしかすると人と触れあいたいだけなのかもしれない。そう考えるとむしろオヤジが可愛く思えてきて、ちょっとイジってやろうかという気分になる。

実にくだらないのだが、しばらくの間、私はなぜかこのオヤジのことが気になっていた。道をふさぐことを止めさせたい。こんにちはと言ったら、こんにちはと返せる人になってほしい。このオヤジを変えてやりたい。

正義感でもなく、オヤジが可愛そうなわけでもない。この気持ちはどこから来るのか?なぜ、私はオヤジのことが気になるのか?この気持ちの正体は何なのか?

気付いたのは、私がオヤジに共鳴しているのだ、ということだった。

オヤジと同じようなエゴを、私も持っている。なんとオヤジは、私の鏡だったのだ。これには自分でも驚いた。

つまり私も「縄張り」を持っていて、誰かに勝手に入られたら怒る人間だったのだ。それは物理的な空間に限らない。意見であったり、価値観であったり、こだわっている領域を侵されたら怒る。他者を受け入れない自分だったのだ。

オヤジとの出会いは、そのことに気付くためにあったのだとわかった。さあ、どう変化してやろうか。

2 件のコメント:

  1. はじめまして。
    ドラムレッスンのお問い合わせをさせていただきたいのですが、HP記載のアドレスにメールをしてもエラーで戻ってしまいます。現在のお問い合わせ先をお教えいただけませんでしょうか?

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    1. ご連絡ありがとうございます。すみません、サーバの設定がおかしくなっていたようで、確かにエラーが出てしまっていました。直しましたので、お手数ですが再度メールを頂けますでしょうか。よろしくお願いいたします。

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