2017年2月28日火曜日

「つり合い、バランスする」ということ

先日も書いたが、このところドラムを練習している。鏡でフォームを細かくチェックしたり、メトロノームでリズムを追い込んだりする作業が楽しい。

私は側弯なので左右の動きがどうしても違うが、それを認めた上で身体をどう操作するかを追求していくところが面白い。左右が同じ動きにならないと悩んでいる生徒も多いので、ここは指導者としてのアドバンテージだとも感じる。

それにしても、胸椎の動きが悪かった。客観的にフォームをチェックすると、アゴを引くということが難しい。そこで自分でクラニオをしたり、腰椎を伸ばす施術をしたり、試行錯誤。腕のねじれも関係している。

しかし、そもそも鎖骨の付け根からして高さが違うので、技術で補わなければならないことには変わりない。そうとわかると、むしろどう攻略してやろうか?とやる気が出る性分。

あらゆる意味で、力が釣り合っている状態、バランスしている状態というのが気持ち良い。この感覚を追求し、動きの中でもそれをキープする。

筋力と重力。
思考と感覚。
無意識と意識。
心と身体。

つり合いがとれている状態は、心地よい。

この作業は私にとって、ほぼ「瞑想」に近い。思考を離れ、反復するリズムに心身を委ねる。そこは限りなく安全な、完全に自分だけの世界。誰にも見せない、「表現」の手前の段階。

どんな人にも、そういう時間は必要なのだと思う。ドラムをやってみよう、演奏してみようと思う人は、それが自分に必要なのだと本能的にわかっているのかもしれない。もちろんドラムでなくても良いが、ドラムと言う手段を持っている私は幸せだと思う。妻が教えてくれたメディカルアロマの香りも大きな助けになっている。

頭が空っぽになる時間は幸せだ。


バランスという話題で、こちらにも記事を書きました。


ドラムの「グルーヴ」の話はこちら
整体の「腰痛予防」の話はこちら

2017年2月21日火曜日

決めた!DVDを作る!

どうも、頭で考えてばかりでは煮詰まる・・・
ということで、昨日は久しぶりに一人でスタジオに入った。

もちろんレッスンで毎日音は出してはいるが、自分のためだけに音を出す時間は、意識して作らなければ持てない。一人の時間は貴重だ。

ドラムは良い。思考がクリアになる。

決めた。
ドラムの新しい教則DVDを作る!

まずは一人でプリプロだ。

前回のDVDから3年・・・日野晃先生に出会い、施術を重ね、身体の使い方も、考え方も、3年前とは相当変わった。というよりも、形にとらわれず、自分が本当に大切にしたい部分が少しずつ明確になってきている。

「どう動くか」ではなく、「どう感じるか」から出発するレクチャー。フレーズなり、リズムパターンなり、音色なり、目的にたどり着くために「何を、どう感じればよいのか?」というところを突っ込んでいく。

なぜ、そういう持ち方になるのか?

なぜ、そういう動きになるのか?

それはつまり、「どういう感じ方をしているのか?」ということ。

それを映像で伝える試み。

やった人だけがわかる、感覚を高めるためのワーク満載。
感じるという作業を通して、自然にドラムが上手くなる・・・今までどこにもなかったDVDにしよう!

2017年2月13日月曜日

本当に伝えたい相手は?

太田マスミ先生から教わったクラニオ・セイクラルの施術法は、人体を根本から元気にすることができる。施術を繰り返すたびに、その確信は強固なものになっている。そこには真実があり、ヨガや呼吸法、武道とも通じているのではないかと思う。

ところで私はクラニオの施術がなぜ効くのか分析して、つい誰にでも説明しようとしてしまう。これはドラム講師として身につけたスキルであると当時に、私の無意識のパターン、クセでもある。

しかし、施術を受けに来てくれるお客様にとっては、理屈はどうでもいいに違いない。

そういうのは、いつか施術法を教える立場になった時に披露すればいいのであって、お客様に対してはお客様の目線で話をしなければ、いくら能書きを並べても伝わることはない。

当たり前のことだが、誰に伝えたいのか?ということを明確にしなければならない。正論を述べたからと言って、相手に響かなければ意味がないからだ。

・・・と書いてみて、「正しい」とは何か?という疑問が湧いた。

施術のお客様にとっては、自分がラクになれるかどうかが全てだ。ラクになれたのなら、それが正しい。シンプルだ。

ドラムのレッスンなら、「良くなるためには自分が練習する」という暗黙の了解がある。だから、多少の試行錯誤が必要でも、自分のこととして取り組んでくれる。

しかし、施術のお客様の多くは「つらい症状を何とかしてほしい」ということでいらっしゃる。「何とかしたい」ではなく、「何とかしてほしい」。この違いは大きい。

おそらく、私のところに2回以上通ってくださるお客様は「何とかしたい」という意識をお持ちの方なのだと思う。そういう方は、スピードに差はあるが100%良くなっていかれる。

こう言ってしまうと元も子もないが、結局はその人自身の力なのだ。施術は、変化のきっかけでしかない。刺激に反応してその人が変化していく、ただそれだけのことなのだと思う。

問題は、刺激を上手に伝えることができるかだ。それは肉体的な刺激だけでなく、心についても言える。兎にも角にも、受け取ってもらえる状態を作れなければ始まらない。

今のところ「何とかしてほしい」という感じがする方は、残念ながら2回目はないことが多い。本当はそういうお客様にこそ「自分で何とかできる」という自信や希望を持って頂けるところまでいきたいのだが、まったく力不足だ。

巷には、そういう人に「依存」してもらうための方便が溢れている。結果的に通ってくれて良くなっていかれるのであれば、それも悪くないのかもしれないが・・・。

2017年2月10日金曜日

どこまでが自分の力?

私の行動は、すべて周りで起きていることに対する「反応」だ。
そしてその大半は、「人」が関わる出来事だ。

良いことも悪いことも含めて、私が行動できるのは、周りに人がいるからこそだ。
何も起きなければ、私は動けない。

「自分がないのか?」と言われるかもしれない。
「主体性がない」と言われるかもしれない。

それは、そうなのかもしれない。
しかし、「自分」は間違いなく「ある」。

何かに出会って、何かを感じる。
そうして感じている主体こそが、自分。

自分の感覚は、自分だけのもの。感覚がある限り、自分は決してなくならない。誰が何と言おうと。

もし何も感じなくなったら、自分もなくなるのだろう。だからこそ、自分に生じている感覚を丁寧に味わい尽くしていきたい。自分をなくしてしまうことのないように。

人から見て自分がどう映っているのかは、その次のレベルの話だ。自分の感覚を見失っている時に、「表現」なんてできるはずがないのだから。

2017年2月4日土曜日

「看取り」についてのお話を聞いて

アロマのご縁でお誘いをいただき、小池美喜子さんの「看取り」についてのお話会に参加した。

看取りとは、もちろん人生の終わりに立ち会うこと。普通に考えると、重い話題だ。

小池さんは、老人介護施設「ろくじろう」を経営されている方。これまでに何十人もの方を、ろくじろうで看取って来られたという。

人は、自分の最期が近づくと分かるらしい。

「もう行く?」「まだだよ」。

「もう行く?」「明日行きそうだ」家族を集め、お別れをする。

そんなお話を、100枚以上のスライドとともに。命の姿が映し出され、涙が溢れる。

中には死ぬべき時期が来ているのに、死ねない人もいるのだという。この世でまだやり残したことがある人だ。「そうした人を死なせてあげる、送り出してあげるのも看取りの仕事だと思っています」と小池さん。

小池さんの施設は、病院やほかの施設で断られた利用者を多数受け入れているという。

統合失調症で暴れまわる人、自宅で家族にナタを振り回していたというおばあちゃん、脚の骨を折って一生寝たきりと告げられた人・・・。メディカルアロマの塗布が大きな力を発揮し、症状が改善した様子も多数紹介されていた。

障害児の受け入れも始めた。心を閉じていたダウン症の女の子も、職員さんのお子さんと一緒に昼寝をしたり、お歳寄りと一緒に食卓を囲んだり。近所の子供が遊びに来ているの?と思うくらい、自然な風景。

「私は、人物の写真に目線を入れて隠したりしないことにしています。それは、目に全てが表れるから。ぜひ、スライドに写る人物の目を見てください」

そこにあるのは、人が普通に、共にいる姿。
相手を変えようとするのでなく、どこまでもその人を認め、ただ寄り添う。
それだけで奇跡が起こる。
命と命が共鳴している様子に、また涙。

「全部当たり前のことなんです」と小池さん。しかし、その当たり前のことが一番難しい。相手にこうなってほしい、こうしてやりたいという「自分勝手」を止めなければならないからだ。

何かしてあげよう、ではない。「ただ寄り添う」ことに、計り知れない力がある。

自分の存在を認めてもらえる場所があるだけで、人はどれほど力が湧いてくるか。そんなことを教えてもらったお話会だった。